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後 藤 勝 利
 農家の顔は、最良のブランド 
 
 
 後藤勝利は、消えゆく寸前の地野菜「藤沢かぶ」を見事 現代に蘇らせた。
 鶴岡市藤沢地区は、地元の作家 藤沢周平のペンネームの由来ともなった地域で、この地に太さ2~3.5㎝、長さ15㎝ほどの細長く、上半分が紫かがった赤色、下半分が白色の「くの字」に曲がったかぶが栽培されていた。以前は「峠かぶ」とか「峠のやま」と呼ばれていたが、商品価値が低く、その頃広く行われていた焼き畑栽培の重労働が嫌われ、栽培面積が次第に減少した。
 四半世紀ほど前、自宅近くの畑で「峠かぶ」をほそぼそと栽培していた村人から、先祖から受け継いできた「峠かぶ」を絶やさないように後藤は懇願され、杯一杯ほどの種をゆだねられた。
 後藤は、はじめ自家用食の畑で「かぶ」を栽培したが、収穫した「かぶ」は、頭の片隅の残る子どもの頃に食べた「かぶ」ではなかった。その原因を考え尽くした後藤は、ひとつの結論にたどり着く。それは昔ながらの焼き畑栽培であった。焼き畑という後藤の取り組みが「幻のかぶ復活、藤沢かぶ」としてマスコミで紹介され、その後の地野菜ブームの切っ掛けとなった。
 焼き畑は自然破壊とは異なり、熱により土壌が改良され、除草・殺菌もされるため無農薬無肥料栽培ができる有機農法であり、伐採された跡地を焼き畑として用い、翌春には植林を行い、再度 焼き畑として「藤沢かぶ」が栽培できるのは、70年ほど先になるという循環農業であり、貴重な農耕文化である。
 8月のお盆前後の酷暑期に山に火を入れ、急斜面で、まだ火が燻るなか種を蒔くという重労働の連続にもかかわらず、後藤は先祖伝来の「藤沢かぶ」を守り抜いた誇りと「藤沢かぶ」対する深い愛情で乗り越える。
 
 藤沢かぶ(焼き畑農法栽培) 
藤沢かぶ
藤沢かぶ
 
後藤勝利のページの写真(プロカメラマン ⓒ津田孝二) 
藤沢かぶ畑 
藤沢かぶの生育風景 
藤沢かぶ
 
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